いま、ふたたびの奈良へ

2009年10月 4日 (日)

いま、ふたたびの奈良へ2

翌朝。ホテルでビュッフェ形式の朝食をいただく。
早々にチェックアウトを済まし、バス停にてバスを待つ。
さて、本日は快晴。絶好の遺跡巡りと思われた。
 
 
■飛鳥 史跡を辿る石の都
 
Ishibutai4
  
何だ? 何があったんだ? 遥か飛鳥で――
 
Kamegata3
 
駆け抜けた国づくりの夢―― 謎めく石たち――
 
Sakafune
 
にっぽんの始まりの舞台―― いま、ふたたびの奈良へ―― 
 
というJR東海のCMに触発され、写真もそれ風に加工してみた次第。
 
まずは「石舞台古墳」に到達。
我々が最初に挙げた感想は「あれ? 小さい」だった。
というのも、もともとそんなに大きいものだとは思っていなかったが、ガイドブックに乗っていた写真に映っていた人影が驚くほど小さく、「え、石舞台ってこんなにデカイの!?」なんて固定概念を覆されたからだった。
で実際に拝見しましたら、その人影に見えていたものは、お供えの花であったというオチ。
とはいうものの、実物は圧巻。
思い出されるのは手塚治虫氏の火の鳥・ヤマト編である。石舞台古墳の造営にまつわる独特の解釈を込めたエピソードである。こちらも傑作。
蘇我馬子の墓だとされており、本来は盛り土がされていたらしいが、事実は現在もわかっていない。
石舞台の下には石室の部屋があり、中も公開されている。
 
地図を忘れたので、その後、どこに行くべきか迷う。
昨日とは打って変わって日照りが強く、汗が出放題。とにかく暑い。
飛鳥の雄大な景色も魅力だが、一刻も早く次の石物に出会いたいものだ。
結局バスまで地図を取りにもどって、次に「酒船石遺跡」へ向かうことに。
「亀形石造物」と「小判形石造物」が見られるエリアへ到達。
水を貯めるためのものと考えられているらしい。頭の部分の穴から水が流れ込み尻尾の穴から流れ出す。
じつに、なんというか、ユニークである。
あとで知ったが、この「亀形・小判形石造物」が発掘されたのが、2000年のことだという。
ごく最近である。
 
小高い丘を少し登り、反対側へ回ってカメラを構えていると、あとからcheeもついてきた。
昨日の雨で土がぬかるみ、丘は滑りやすくなっていた。「滑るでね」と注意をうながした瞬間に、ドサッ!と聞こえた。
振り返ると、片手にカメラ、片手に日傘を差していたcheeが地面に突っ伏していた。
「わーわー」と慌て近づいて手を貸すと、ボクの首からかけていたカメラのレンズ部がcheeの額にクリティカルヒットした。
踏んだり蹴ったりが降り掛かったcheeのズボンは泥んこまみれになっていた。
 
つづいて、「酒船石」へ。
美しい竹林の緑なる坂道を登って行くと、「酒船石」は存在した。小学生の群れに囲まれて。
それも酒船石そのものをテーブルかわりに、レポートをかいてる。「はーい、次は3組です」と先生。順番があるようだ。
我々は3組のあとを待った。
幾何学模様が彫られた石板は、酒や油を搾るために使用されたとの諸説があるがこれまた定かではないようだ。
 
ここで時間いっぱいいっぱいになってしまって、他の石物はお預けとなってしまったが、とにかく敷地が広くてとても回りきれない。
名残惜しみつつ、飛鳥をあとにした。
 
 
■スイーツクーポンをかけたゲーム
 
戻りのバス内。
ツアーメンバーは1人1枚500円分のスイーツクーポンを持っていた。せっかくなので使わにゃ損損。
だがツアーメンバーの中に、このあと博物館へ行くもんでクーポンは使わないよ、という人物が現れた。
そこで、ガイドさんの粋な計らいで、この余った1枚のスイーツクーポンをかけて、ひとつゲームを始めることになった。
ルールは簡単「現在、財布の中に一番古い10円玉を持っている人が勝利」というものだった。
全然乗り気じゃなかったが、一応財布を確認してみる。
周囲では「昭和48年!」などの声が挙がっている。
「さあ、昭和48年より以前の10円玉を持ってらっしゃる方いますかー?」
 
実はボクの財布には常時、「ギザ10」が入っている。
使えずに何枚も貯まってしまったわけである。
おもわずアルカイック・スマイル浮かべた。こんなところで役に立つとは。
「はい、昭和28年」
圧勝であった。
 
我々はスイーツクーポンを手に入れた。
 
 
■奈良町散策
 
Rakudamona
 
最初のクーポンは「tenten cafe」という甘味処へ。
自分は「らくだモナカアイス」を。モナカの中に抹茶アイスと小豆を挟んで食べる。
おいしく、上品を味わった。
 
その後はただ歩くを繰り返し、時間いっぱいまで奈良町を堪能した。
いただいたクーポンは「西寺林スイーツ」というお店で、レモンのチーズケーキといちじくのタルトに使用。
夕飯をバス内で食べるべく、名物「柿の葉寿司」も購入した。
 
いざさらば奈良。
帰りのバスでは、車内にビデオが流れた。
多数決で決定した「しこふんじゃった」である。
特にすることもなかったので、ちゃんと観てしまった。
  
追記
よく考えてみれば京都・奈良への修学旅行は中学校のときでは無かったか?
聞くところによれば現地の小学生は通常の社会科見学として古社寺群を見学するそうな。
今回各所で見られた小学生らは実は修学旅行生ではなかったかもしれないと考えられる。
以上。
 
さて、悠久の遥かに思いを馳せた2日間。
翌日はふたたび現代の現実に引き戻されるのである。
  
2009. 9.30-10.1

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2009年10月 3日 (土)

いま、ふたたびの奈良へ

Shika
 
奈良へ行ってきた。
遥か飛鳥の時代へ引き戻されに。
 
思えば去年の5月。
ふいに奈良へ行きたくなってガイドブックまで購入していたという事実が、このNoteにきちんと刻まれていた。それから数えてこの時まで、その気持ちとガイドブックはどこかへ置き去りにしてしまっていた。
 
ということで唐突にまたは必然に、古社寺の数々や古代の遺物を巡る旅というのが発足した。
移動は、面倒を起こさずに済むバスツアーで低予算に。
集合時間も早いというのに前日はなぜか夜中まで起きてしまっていた。興奮して寝られなかったという説が有力である。まるで修学旅行前の小学生と同じレベルだが、奈良へ、しかもバスツアーということで状況もそれに似ていた。
では「うるわしの奈良」を振り返ってみる。
 
 
■さわやかな朝は貧血で始まる
 
朝は4:30のアラームに起こされる。そして夢見心地のままにアラームを手探り、OFFる。
ついでにその後にセットされていた、4:40、4:50、5:00、5:10、5:20、5:30も全部OFFる。
直前に観ていた夢が気になり、暗がりの天井を虚ろに見上げたまま、物思いにふけってみる。
親のガンメンを殴るような夢だったと記憶する。もちろん現実においてそんなことしたいなどという願望は毛頭ない。おかしいな、なんだったんだろ、なんて考えてるうちに再び夢へと落ちてしまっていたのである。
 
次に起きたのはcheeからのコール。6:00頃。
「大丈夫だよ、起きてたよ」の大ウソのあと、飛び跳ねて起き上がり、早急に身支度を整え、というか乱雑になんとか形づくって、すぐに家を飛び出した。自分、朝からこんなに早く動けるんだあ。なんて感心している場合じゃあない。
ヒーヒーいいながら駅まで走り、切符を購入、階段下って、なんとか電車に間に合った。
 
おかげで、酸欠と貧血を引き起こした。
全身から血の気がひいていくのを明らかに感じて空席に倒れるように座り込んだ。
ロックバンドのドラマーと化した心臓の爆音が外に漏れるのを気にしながらうずくまった。
蒼白のガンメンからどくどくしい程の汗が大量に吹き出し、嗚咽かも腹痛かもわからない複合症状がわけもわからず襲ってきた。ぎぼぢわるい。最悪。
 
浜松へ着くまで約10分。
この間になんとか回復してください体よ、と念じつつ、とにかく深呼吸に努め、最悪の体調が収まるまでひたすらに耐えた。
 
貧血の記事で長くなるわけにはいかないので、次。
 
 
■東大寺大仏殿・盧舎那仏像に会う
 
一時はどうなることかと思ったが、体調は浜松駅へ着くまでには幾分回復していた。
とはいえ背筋をピンと張れるほどのテンションもなかった。
売店で、サンドイッチとあったか~いお茶を手に入れ、少しずつ口に入れた。
cheeと合流、そのウマを伝え、バスに乗り込んだ。
バスガイドさんも、朝っぱらから顔面蒼白の乗客なんかは見たくなかっただろう。
ツアー参加者は全部で15名と少なく、大型バスはガラガラを保っていた。
おかげで背もたれが倒し放題・上げ放題だったので、体調回復に役立てた。
 
なんていうと、以降の記事が常に貧血患者から見た光景になってしまうので、ヤメ。
ちなみに、体調は次第に回復していったわけで。
 
いろいろあって、奈良公園へと無事到着。わーい、鹿がいっぱい。
ここからは自由行動。ツアーだからといって、団体で行動したり、ガイドさんの説明をいちいち聞いたりすることはない。
 
やはり「東大寺」は見逃すわけにはいかない、と我々。
思い出されるのは手塚治虫氏の火の鳥・鳳凰編である。東大寺建立を流れにいれた2人の仏師の宿命の戦い。傑作。
 
さて、奈良は雨が降り出していたが、情緒をつくり出す良い演出になってくれていた。
鹿いっぱいの公園をぶらつき、着いたばかりの奈良の光景に風情を感じながら、しずかに「東大寺」へと歩を進める。
奈良は初めて、というcheeは目をランランさせていた。
 
我々は入口の巨大な「南大門」に立つ金剛力士像(仁王像)に感激し、いそいそと「大仏殿」へ。
それにしてもさすがは修学旅行の金字塔。修学旅行と思われる小学生らが多い。
いろいろな所からいろいろな小学生が見学しに来ている様子。赤白黄色に青やピンクの帽子だったり制服だったり。さらに色物の傘を差している。風景がカラフルでポップになってしまう。
 
この大仏殿の中に、穴の空いた柱が1本だけ存在する。
これは盧舎那仏像の鼻の穴と同じサイズとされ、これをくぐり抜けられれば無病息災の御利益があるとされている。
卒業アルバムの中に、これをくぐって抜け出た瞬間の苦痛に歪めたクラスのお調子者のガンメンが収められている。卒業アルバムあるあるだ。
 
我々も小学生らのうしろにまわって順番を待った。
まずcheeが挑戦。くぐってる最中は周囲の観客の注目の的になるので、恥ずかしさのあまり難なくひゅるるっとイタチのようにすり抜けた。
次に自分が挑戦した。このスレンダーな身体を持ってして、この程度の穴が抜けられないはずもなかった。頭をすっと出したところで、cheeに「ストップ」の声をかけられた。
自分は柱に串刺ししたままの体勢をキープし、スナップショットに収まった。
 
Todaiji_4
 
 
■斑鳩の里・法隆寺 〜1400年前の歴史舞台へ
 
奈良公園をあとにし、バスは「法隆寺」へ。
到着するなり、とりあえずはお腹をこしらえることに。
「松鼓堂」という茶房で、奈良の郷土料理「茶粥」をいただく。ほうじ茶とグズグズになったお米のさらりとした食感が奈良の旅を演出してくれます。
 
聖徳太子のゆかりの寺院にして現存する世界最古の木造建築物群の数々が並ぶ。そんな法隆寺は個人的に非常に愉しみであった。
思い出されるのは、過去に頂いたマスターマインドの「法隆寺」のサウンドトラックである。
日本人の琴線に触れるメロディという表現をどこかで読んだが、この楽曲のイメージが強く、たいへん聖地的な印象。外の雨もそれに加味。
 
南大門から境内へ。飛鳥時代に建立されたという「中門」には日本最古の金剛力士像(仁王像)がいる。
すごい、にらんでくる。
「金堂」の中には金剛釈迦三尊象のほか、薬師如来像、阿弥陀如来像が左右に安置され、四方には最古の四天王像たちがいらっしゃいます。
飛鳥時代の仏像の特徴はアルカイック・スマイルと言われる微笑みらしい。生命感と幸福感を含んだ微笑みを浮かべていらっしゃいます。
「五重塔」の1階部は見学可能。東西南北の四方に向け、釈尊の入滅など、それぞれ違った場面が表現されています。
別のツアー団体のガイドさんが説明しているのを盗み聞いたりして、なるほどと関心しきり。
次に、貴重な寺宝が多数展示された「大宝蔵院・百済観音堂」へ。
 
建物の内部には「夢違観音像」が展示されている。いや、安置されている。
夢違観音は「悪夢を見ても、吉夢に変えてくれる」という信仰があるとのことで、さっそく今朝方に観てしまった親のガンメンを殴るような夢を思い浮かべながらお祈りした。
 
最後に「夢殿」を見学。
雨の「法隆寺」。自分への土産は、このあいだD&DのGIFT展で入手した奈良の「白雪ふきん」とまったく同じ柄の「白雪 友禅はんかち」。
さっそく重宝した。
 
Horyuji_3
 
 
■街歩き 奈良タウン
 
バスはホテルへ。チェックインを済ませたあと、休むことなく外出。
駅周辺エリアの奈良タウン界隈を散策。&夕食。
着いたときから気づいていたけど、話題の「せんとくん」グッズが豊富だ。
現在、ロッテの「Fit's」でも奈良を取り上げていることが帰宅後に判明したが、CMで踊っているのは「まんとくん」。
でも奈良現地では「まんとくん」もかなりのグッズ展開をはかっている。
 
夕飯は「ふる里」というところで、「出し巻き定食」をいただくことに。
出し巻きたまごがメインの定食だなんて珍しかったので。
 
呼び出しベルが、壁面に設置してあることに戸惑った。
インターホンみたいだった。
 
Hurusato
 
上品なお味は関西風ならではか。 おいしくいただきました。 
あとそうそう、親子丼ならぬ「他人丼」というのが普通にメニューの中に含まれているのもカルチャーショックだった。
 
  
さて翌日は、のどかな風景と魅惑ノスタルジー、そして古代史のロマン感じる飛鳥へ。


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